嫌いじゃないのに、食べ物だと思っていない節がある我が身の話。
キャベツにはなんの罪もない。
むしろいっつも世話になってるアリガトウ。
生キャベツが常備の最近
最近うちの地元ではなんだかキャベツがお買い得。
自炊する中で創作お好み焼き(練り)にハマっているので、大変お世話になっているキャベツ。
先日も引き続き、まるまる1玉を購入した。
独り暮らしがキャベツ1玉って結構なボリュームです。
だからザクザク切ってモリモリ食べようとする。
もちろん1玉購入して調理して食べようってんだから、キャベツが嫌いなわけじゃない。
ないんだけど、
生キャベツを切断した時のあのかほり。
あれを嗅ぐとどうしても、骨身から滲むように
「これは人間の食べ物じゃない」
って思う節があって、
なんてヒドイことを思うんだ私は!!!
って、
積年の懊悩でした。
毎日々々、食べてるんですよ?
なのにナゼこんなことをついつい思ってしまうんだろう…と不思議に思っていました。
ニワトリとオカンとキャベツと
つい先日も相変わらず生キャベツを、どう処理してやろうか…と思いながらザクザク切っていたときに、
「子供に包丁持たすの怖いよねー。むかし年中の上の女の子がキャベツ切るつもりでオママゴト感覚で指切ったことあったよねー」
と、なんとなく思い出しました。
昔々、自分が地元保育園でまだまだチビの部類に入る園児だった頃。
我が家が保育園から一番近所に位置しているという事情から、長期休暇の際には保育園で飼っているニワトリの世話をしていました。
大きなニワトリ小屋にぽつねんと1羽だけ雌鶏が飼われていて、産み立て卵を回収し、彼女にキャベツをその場で刻んで与えるのが役割でした。
(生キャベツはニワトリ小屋の脇に包丁と共に保管されていた。)
(今から思い返すと、保育園児でも侵入できるセキュリティーの保育園内に包丁がペイっと置いてあるんめっちゃ不用心やね。)
(職員もおらんかった。休日やったから)
(時代…)
休日の朝から母親と二人で歩いて保育園に向かい、勝手知った裏口から敷地内に入り、ニワトリの世話をして帰る、というだけのことでしたが。
私は長子だったので、
母親を独占できるそのひと時がすごく貴重だったことと、
幼児としては保育園で唯一の動物の世話を任されているという誇りがあったみたいで、
だいぶ年をとった今でも思い出せる幼少期の思い出です。
なんか母親に手つないでもらって歩いたこととかすごい覚えているよねー。
うちの母親様は、もうその時分以降は全然そういうことしてくれるタイプの人じゃなかったので、なんかすごい覚えてる。
別に虐待でもなんでもないんだけど、
道端でコケても、抱き起してくれたりとか絶対なくて、
「いつまで寝そべってんの?泣いたら起こしてもらえると思ってんの?泣くの?え?泣いちゃうの~?お?泣くか?泣くんか?おぉ?泣いてんのか?www」とか普通に言う人やった。
横にいた他の親のほうが困ってたわ。
横親「え?え?い、いいんですか、娘さん起こさなくて」
我親「いいんですよ!寝てたら起こしてもらえると思っとるんで!」
横親「○○ちゃん、だ、だいじょうぶ…??」
我親「いーですいーです。さ、行きましょう!」(って言って普通に移動していく)
オンドリャーこんのク〇BBA!!!!!!って起き上がったら離れたトコから、
「はっ!やっぱり起き上がれんにゃん。じゃーさっさと最初っから起きぃ!」
とかのたまう、BBAでした。
おかげ様でワタクシも未就学児の時点で実母にBBAとかのたまう御子に育ちました。
今こんなこと言っている保護者おったら通報されてしまうかもしれない…。
ちなみに恨んでないよ?まぁまぁ仲良しよ?たぶん。
まぁそんなこんな、印象的な幼児期の思い出に、
生キャベツの匂いは、ニワトリさんの餌という認識で強烈に刻み込まれていて、
今ではもちろん、キャベツは人間も食べるって理解しているんだけど、
どうしても、原初の刷り込みが絶対的に根付いてしまっていて、
あかん。
どうしても、どう認知を変えようと沈思黙考してみても、
黙々とキャベツを切りながら、
いつも、
「なんでウチ今、鳥の餌切ってんにゃろ…」
って思う。
ちゃうちゃうちゃうコレ私のご飯!って思いながら、
「こんなに(鳥が)キャベツ食べよるやろか…」
って考えてる。
最終的にモリモリ食してるくせに(笑)
キャベツのスープ甘くて美味しい。
最後に
もうこの年なってこれやから治らん。
万が一に長生きして認知症になったら、生キャベツ出された時に
「鳥の餌食わすんカァッ!!!」とか言ってキレる老人になるかもしれん。
そん時は許して。
以上です。