今週のお題「いい肉」
美味しい肉について語るというよりは、高価そうな牛肉をいただいた日の晩から夜明けにかけて過ごしたひとときと、翌朝にお別れすることになった子猫との思い出話です。
肉の話では全くないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、先に申し上げておきます。
いい肉、と考えたときに、思い出さずにはおれなかった個人的な思い出話です。
ご了承のほどお願いいたします。
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その日の晩は知人の歯医者さんが、外国から迎えたお客さんを接待されるのにお呼ばれした。私の役目は通訳だった。
談話をサポートする代わりに、歯医者さんの奥様手塩の御馳走を食べさせてもらった。
そのご馳走の中に、1枚1枚個別に包装された牛肉で作られたすき焼き鍋があった。
すごく美味しかった。個別包装の牛肉なんか初めて見たし、本当に今まで食べた牛肉の中で一番柔らかくて美味しかった。
歯医者さんの息子さん達が、これすき焼きより焼肉にしたほうが合うんじゃない?パパ、って言ってたのがちょっと耳障りだったのを思い出す。
そんな会食をしていた時、妹からSMSが届いた。
「子猫がミルクを飲まなくなった」
「排泄も止まった」
「どうしよう」
「元気がない」
その子猫を拾ったのはちょうど1週間前の朝だった。
実家近所の路上に転がって、ぴやぴやと鳴いていた。
薄汚れてあまりにも非力そうで、まだヘソの緒がぶら下がっていた。
母猫が引き取りに来る気配もなく、仕方がないのでタオルにくるんで持ち帰った。
動物病院に連れて行くと生後2日の超未熟児とのことだった。
拾ってしまったからには心を決めなきゃならないと、子猫飼育セットを1式そろえて、昼夜を問わずのお世話が始まった。
私にはそれまで、自分より圧倒的に脆弱で未熟な生き物を世話した経験が皆無だった。
弟や妹、従妹はいたけど、みんな同世代で、少々の年の差ぐらいの差異しかなかった。
ミルク、排泄、げっぷをさせて寝床を温めて、それがずっと3時間おきに続いた。
子猫は哺乳瓶を猛烈に嫌がった。飲み口の先にミルクを滴らせて、口にあてがう作業が延々と続いた。
獣医に指導を仰いで、ミルクの飲ませ方、排泄のさせ方を覚えた。
3時間ごとに子猫に向かっていると、まともに睡眠をとることは出来なかった。
世話し疲れて湯たんぽと子猫をくるんだタオルをお腹に載せて、あおむけに寝転んで休憩することがよくあった。
胸の上や腹部の上に載せて温めていると、子猫は落ち着いてよく眠って、更に慣れてくると、ときどき私のお腹の上で脱糞するようになった。
排泄を自分で覚えたんですね、と獣医さんに言われると、子猫がすくすくと育っているようで安心した。
世話をして2日程で、子猫はぐんと猫らしい容貌に変わり始めた。
耳と肉球にハリが出て、みゃあと鳴けるようになった。
真っ白な毛並みが、ふわふわになった。
排泄介助中にお尻をつつかれるのが大嫌いで、その作業中には一生懸命にこちらの手の平を引っ掻いて抵抗した。
どんどん爪が力強くなるので、手袋なしに排泄介助が出来なくなるほどだった。
妹から子猫の急変の連絡がきたのは、そんな時だった。
その日の食事の席はずいぶん以前から依頼されていたもので、断ることもできず、当初より子猫の世話に協力してくれていた妹に子猫を託してきていた。
通訳役を約束した手前、会席のさなかに席を立つこともできず、デザートの高そうなプリンもいまいち味わえず、落ち着かない時間を過ごした。
その歯医者さんの御宅には猫が4頭も飼われていて、彼ら彼女らが悠々と過ごす様を見ていると、実家で苦しんでいるであろう子猫のことが不憫でならなかった。
この猫たちとうちにいる猫にはなんの関係もないのに、理不尽だと思った。
食事会が終わってから、動物病院の救急外来に向かった妹と合流した。
獣医さんに、今夜が山場だと告げられた。
今夜を生き延びることが出来たら、大丈夫だと思うと、そのお医者さんは言った。
手の平ぐらいの大きさしかない子猫が診療台の上でぐったりしていて、あまりに不憫で、かわいそうで、どうしたらいいんですかとお医者さんに詰め寄ったとき、もう既に私はぼろぼろ泣いていた。
いいですか、これはあなたの世話の上手い下手の問題ではありません。私が排泄介助の施術をしてもだめだった。なにか体の機能に問題があるのか寄生虫に感染しているのか、原因は分かりませんが、今晩この猫にしてあげられることは、排泄を促し続けることと、低血糖・低体温にならないように世話し続けることだけです。
お医者さんはそう言って、薬指くらいの大きさのシリンジ2本を、子猫にミルクを少しでも飲ませられるようにと持たせてくれた。
この時、真っ先に世話の上手い下手じゃないと言ってくれた獣医さん優しかったなと思う。
たとえ嘘でも、今もこの言葉に救われているところはある。
子猫を連れて帰宅してから、夜通し子猫と一緒に過ごした。
私がやってる作業はそれまでとあまり変わらなかったけど、排泄がほとんどできなくなった子猫はミルクもほとんど飲めず、かろうじて少し口を通っても吐き出してしまって、それはもう、とてもじゃないけど食事といえる状態じゃなかった。
なんとか排泄させようと体をさすり、温めて、夜明け少し前に1度だけ血色が戻ったとき光明が見えた気がしたけど、子猫の生命力はそれっきりしぼんでいくように見えた。
夜明け頃、居ても立っても居られなくなり、動物病院の時間外診療に連絡をつけて家を飛び出した。
寝不足と不安で混乱しながら、子猫が不憫でもうずっと泣きどおしで車を運転した。
病院への途上、急に子猫が大きな声で鳴いた。
助手席に固定した箱の中に手を突っ込んで、死なんとって、頑張って、と声をかけ続けた。
低血糖で体が硬直したのか、子猫は両の手足をぴんと張って苦しそうに鳴いていた。
獣医さんに何度も説明された通りの、低血糖の症状だった。
動物病院に到着して診察室に運ばれたときには、まだ子猫に息はあったらしい。
でも、こちらでは何もしてあげることが出来ませんでした、とその時の獣医さんは言った。
せめて体を綺麗にしてあげたいと思うのですが…と言われたので、是非にとお願いした。
一晩中口元に運んだシリンジから垂れたミルクが、口元をひどく汚していたのがかわいそうだったから、本当に有難い申し出だった。
その日の午後に、地元のペット霊園で火葬した。
沢山の粉ミルクと、お気に入りの様子だったタオルと共に荼毘にふしてもらった。
ペットと呼ぶには共に過ごした日々はあまりに短く、大きくなるまで世話をしてあげられなかったのが惜しくてならないが、子猫と過ごした1週間は代えがたい時間だった。
今でも、子猫の感触とか匂いが懐かしい。
まともにペットを飼った経験がないけれど、喪失感があまりに凄まじいので、自分にはとてもじゃないけど無理だと思う。
本当にかわいい子猫でした。
また会えたらほんまにいいのに。
私が拾ってしまったことが、せめて子猫にとっての不幸でなければいくらかは救われる気持ちです。
以上です。