のりログ

好きなことを好きなように、出来得る限り好きなだけ

「お父さん」について思うことを自分語り

 

今週のお題「お父さん」

 

こういうテーマだから、存分に自分語りをさせていただく。

こんなオヤジもいるっていう話です。

 

うちのオヤジこんな人

うちのオヤジはジッとしていられない質で、我が祖父にして「バタバタ鳥」と評させた人物である。

年は召したが今でもよく動く。

ひとところで沈思黙考…してたりすることもあるけど、人様がいるとどうもそれが出来ないらしい。

仕事してるか思たら遊んでるし、遊んでるか思たら仕事してる。

幼児期の顔立ちはナイナイの岡村さんそのもの。

クローンかと思うくらい似ている。(今は違う)

 

頭頂部は薄いが体毛は濃いめで、

母はオヤジのスネ毛のあまりのボーボーぶりに惚れたらしい。

「二人で海水浴に行ったら、お父さんのふくらはぎで蟻がスネ毛の中を迷ってたの…♡」

ってオカン言うてました。

人の好みは色々ですね。 全く理解できません。

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スネ毛に迷い込んだアリさんに同情する

 

顔は別物、人格そっくり

私の顔は母のマジで生き写し。

今でも「ご夫婦ですかぁ~?」とか普通に言われる。初めて他人にそう言われたのは12歳の頃だった…ぷちトラウマ。

 

でも性格はかなり似ていて、顔の造りは全然違うのに表情筋の使い方とかリアクションが一緒です。

テレビを同時に見てたりする時に同じポイントで同じリアクションしてたりして、

我ながら少々きもちわるい。

 

幼少期の私とオヤジ

仕事が忙しかったようで、

『父=日曜日に突然現れて外出に連れ出す人』という存在だった。

 

よその家で「お父さんってどんな人なの~?」と尋ねられ、

「オモチャ買ってくれる人!」

と答えてウルサ方の主婦からヒンシュクをかっていたらしい。

今更ながら思うけど、私にそれ尋ねた主婦さんは何が聞きたかってん。

 

でも実際、オヤジがしてくれた家庭的なこともあって。

一つハッキリ覚えているのが保育園の遠足に一度だけ弁当を作ってくれたこと。

 

何故か”サッカーボール型のおにぎり”が作りたかったらしく、

大人の男の両掌で握り倒し、チョキチョキ切った海苔を貼り付けまくった米粒の巨大な集合体をキティちゃんのプラスチックのお弁当箱に詰め込んでくれていた。

弁当箱を包みの外側から眺めている時点で、

「どうしてこんなに大きいんだろう…?」とは思っていたけど、

まさか弁当箱が激しく変形してしまっているとは思わず。

巨大握り飯の所為で、その他おかずはほとんど入ってなかったし。

 

帰宅してソッコー母親に苦情を申し立てた気がする。

キティちゃんの弁当箱、ふつうに破損してたし。

「だってお父さんが作るって言うんやも~ん」ってオカンに言われた気がする。

 

幼児期の記憶なんで不正確なところもあるかもしれないけど。

今から思うと、弁当箱を変形させるほどの巨大握り飯ってなんだよ。

(でもたしかにそんなことがあった気がするのです)

 

小・中学生時分の私とオヤジ

まだ私のハートがぴゅあ~な時分、

”お父さんに仕事のやり甲斐をきいてみよう!”てな感じの宿題が出たことがあって、

「おとうさん、仕事のやりがいってなに?」

「はぁぁ~?そんなもん金に決まってるやんけ?!」

「……お金だけ?」

「お前、稼ぐこと以外に仕事の遣り甲斐なんかあるわけないやろが!」

「え、えぇぇ~そうなん~」

「あったりまえやろが!金金金!金が稼げへんにゃったら誰が仕事なんてするかぃっ!」

「学校の宿題なんやけどこれ」

「そのまま言え!」

そのまま書いて提出しました。先生はノーコメントだった気がする。

 

ずいぶん仕事が大変だった時期らしい。

今から思い返すと、月末になると食卓に並ぶおかずが、オヤジだけ豪華だったりすることがあって、

他のブラザーシスターたちと「お父さんだけお刺身ずるい!!」とか苦情をオカンに言うてた。

家計が苦しいとき、オヤジだけのスペシャルおかずが冷蔵庫の奥に隠されていた。

「だってお父さんは働いてるやん?」とオカンは言うてたような気がするけど、

子どもらには「そんなの関係ねぇ」状態だった。

 

オカン…すまんな…。子どもは子どもで食うのに本気。

(ご飯を食べさせてもらっていなかったわけでは、もちろんない。) 

 

これは最近になってやっと知ったんだけど、借金の保証人になっていたらしく。

それの支払いをさせられていたらしい。

 

だからホンマに仕事に一生懸命になってはって、

たとえばオヤジの電話を取り損なって不在着信になろうものなら、

「お前がワシの電話を取り損のうて無駄にしたこの数十秒で、ワシが一体いくら稼ぎ損のうた思てんねん!!!!!!!」

って毎度ブチ切れるのが、うちのオヤジでした。

 

今そんなこと言われようものなら、

「実は為替のトレーダーかなんかなん?」とか言い返して火に油を注ぐことでしょう。

さすがにそんな油ギッシュな時代を通り越して丸くならはったけどね。

 

高校生時分の私とオヤジ

バイトをすることを許してくれなかった。

「俺の稼ぎでは足らん言うんかっ!!!!」と一度激しくキレられて諦めた。

そんな潤沢なお小遣いもろたことないけどな…??

自分が苦労人やったから、子どもにはさせんとこうって思ったはったみたい。

 

それでも年末年始の短期バイト(正月商戦向け餅作り・おせち作りとか)には行ってて、なぜかそれは応援されてた。

なんでやねん。気分屋じじぃ。

 

一方で、自分にとって高校時代の節目になったのは留年でした。

考え無しに、なし崩しで選んだ進学先に馴染めず、出席日数の不足により留年。

 

今になると、留年なんてナンボのもんじゃいって感じやけど、

当時はもう、人生マジで終わった気分でした。

周囲の同世代みんなが出来ていることが出来ない己の不甲斐なさで潰れそう、

いや実際、潰れていた。

 

結構ぐっしゃり潰れてから、周囲の大人が差し出す手にユルユル引っ張りあげられて持ち直すことになるんやけど、

オヤジはその時、私を引っ張り上げるのにホンマに一生懸命になってくれてたようでした。

「お前なんか大したことない。ワシ2浪して2回留年したんやぞ。4年遅れで学校出て2年間ふりぃたぁしてたんやぞ」

(マジで2年間浪人して、進学先で2回留年したオヤジ)

 

父親に否定されなかったことの有難みは大きかったと思う。

 

最近のオヤジと私

オヤジが激昂するだけでオートマティックに号泣していたのは子供時代だけで、

最近は激昂されても激昂し返すぐらいに可愛くはなくなった自分ですが、

 

オヤジをむやみに激昂させるんは多分よろしくないと思うので、

「どうどうどうどう…」と落ち着かせる気分で喋ったりするように気をつけています。

 

うちのオヤジは脳血管が生まれつき一部機能不全で。

どうやら普通は血が通ってなければ生命維持できない血管が、全く機能していないそうです。

「なんで生きてるんですか…?」って医者に訊かれるらしい。

 

あと大腸が長いらしい。なんやねんその情報どこ発信やねん。

放屁の言い訳にすんじゃねー。

 

それと、これは最近分かったことなのだが

珍しいタイプ?の糖尿病になっているそうで(本人談だから詳細が不明)

 

Bluetooth機能のついた体組成計をどこぞの研究機関から進呈されて、それに毎日乗っかって身体情報を送信したり、

有償で排便日記を依頼されてそれをせっせと書いたりしている。

う、う〇この記録がお金に…!?(謝礼クオカード¥6,000-もらったそうです)

 

最後に

直近の父の日は奮発して良い鞄を贈りました。

父の飲み友達のオッチャンに「お前オヤジにエェ鞄買うたれ」と言われたので参考にしました。

 

父は見た目に反して口が悪く、気分屋で、でも猫被るのは相当達者な曲者ですが、

私自身は手をあげられたこともなく、生活に不便なく、大きくしてもらいました。

 

まだもうちょっとしばらくは、元気で過ごしてほしいと思います。

 

うわーめっちゃ自分語りしてしもた。

読んでくれはった人、ありがとうございました。

 

以上です。