LADY GAGA"Rain On Me"のtsunamiに引っ掛かっている話
レディーガガとアリアナ・グランデのコラボしたビッグタイトル、”Rain On Me"がめっちゃ好きなんやけど…tsunamiがな…気になってしもてな…。
ファンやから曲自体は好み
「我が家がクラブになった!」みたいなコメントをYouTubeで見かけて
「分かるわー!!」って、最初は私もるんるん聴いてました。
曲調がドラマティックに移り変わっていく感じがめっちゃアガります。
ベルベットなガガ様の歌声と、極甘シルキーなアリアナの歌声の折重なりが本当に素敵。
もともとガガ様が好きで、数枚ながらアルバムも持っているし、今回のアルバムも買いたいなぁーと思っていた。
が。
何度目かにYouTubeで再生したときに英語字幕がオンになっていて、
聞き取れなかった歌詞を眺めて「相変わらずガガ様の曲はカッコえぇ歌詞やの~」と英詩を堪能していたら
”Rain on me, tsunami"
と、曲も佳境の部分でガガ様がラップしてるのが目に入った。
恥ずかしながら、歌詞を見るまで全然聞き取れてなかったんだけど。
目にした途端、理解が追い付かなくて固まった。
tsunamiに思い描くイメージ人それぞれ
tsunamiの歌詞が好き過ぎるー!!!みたいな叫びを訴えている人達が色んなお国にいらっしゃるようです。
Twitterを見ていると、そんな感じ。
一方で、「tsunamiって表現に固まった」と言う私の同郷人もチラホラ見かけました。
英語で、「さすがにtsunamiは無いだろう!」って声高な雰囲気で書かれている方もごく一部見かけました。
私にとってのtsunami
tsunamiは津波で、3.11を思い出させる単語です。今でも、私にとっては。
でもだからって、不謹慎だー!って怒る気持ちは全然ない。
3.11以前は、TSUNAMIといえばサザンオールスターズのヒット曲、ぐらいのイメージしかなかった。
だけど、未だエンタメの一部として聞き流せるほどに風化したイメージではない。
私はバリバリ西日本の人間で、あの大震災の被害を被った記憶は全然ない。
でも、それなりに覚えていることはいくつかある。
震災後に節電傾向のあった時期の東京中心部を訪れて「これで暗いん?十分明るいやん」って思ったこと。
九州の知り合いが「関東に品物が売れて売れて儲かってる」言うてるん聞いて「アッチが儲かったりコッチが儲かったりするんが経済なんやな多分」って思ったこと。
福島に実家のある友人が震災前の御当地を偲んでいる話を黙って聞いていたこと。
その友人の祖父母が福島を離れて慣れない土地で過ごした初めての正月にご一緒して、福島スタイルおせちを御馳走になったこと。
テレビで見た津波の映像に、何度も恐怖したこと。
被害に遭われた方が話す内容を聴いたり読んだりする度に、いたたまれない気持ちになったこと。
そして今でも、
東南海の海辺に住む友人のことも、ふとした折に心配に思うようになってしまったこと。
自分は居住地的に津波に遭うことはないけど、建物の倒壊に巻き込まれる可能性は大いにあるということ。
自分が住んでいるお国は、どこにいたって地震の被害に遭う可能性のあるところだということ。
そんなことを思います。
私にとって、地震に対する恒常的な恐れを覚える節目になったのは3.11で、その3.11と津波は、イメージとして私の認識の中に組み合わさって保管されています。
だから津波はtsunamiであろうとも、私にとってはエンタメには絶対に成りえないんだと思います。
Rain on me tsunamiに歓喜してる感の外国人ファン
外国語話者のこの感想は単純に理解できない。
tsunamiが「津波」に変換される日本語話者ゆえだと思う。
漢字変換されない国の方にとっては、これがエキゾチックな感じに聞こえるの?
Twitterの名前まで”Rain on me tsunami"にしている外国人がめちゃくちゃいてビックリしたよ。
個人的にはNamidaとか言ってくれたら「親日家の感を出してくれてるのかな~」ってお気楽ハッピーになっていたと思う。
どうっすか、”Rain on me Namida"
曲の世界観にも合うと思うんだけども。韻的にだめ?
ちらほら見かけた「雨よ降れ、津波のように」との歌詞解釈について
これはめちゃくちゃ誤訳だと思うんだよなー。
こんな感じで訳しているサイトがいくつかあった。(自分調べ)
Twitterでも見かけた。うーん。
”Rain on me like Tsunami"と歌っているならまだしも、”Rain on me, tsunami"でその解釈は拡げ過ぎだと思う。
とにかく歌詞和訳サイトで「のように」訳を採択しているのが多くてビックリしました。
そして「雨よ降れ」は少し解釈が物足りない。
”Rain on me"を命令文と捉えた場合、主語は歌詞の世界観で推測するなら『涙』。
涙が雨のように沢山流れている(流されている)様を詩的に表現しているのが”rain”という動詞に表れているのであって、雨乞いをしてはるわけではない。
日本語にすると違和感あるけど、「私に浴びせかかってこい、涙」って感じなのではなかろうか。
「溺れる程に涙したって負けない」みたいなイメージかな…。
一方で
”Rain on me"の”rain"を名詞と捉えるなら、『私に降りかかる雨』でしょうか。
この場合の雨は涙の比喩ですかね。
眼からこぼしているどころじゃない、この身で浴びるほど涙しているんだーっていう勢いを感じる。
ただし”tsunami"が挿入されている部分はハッキリと命令文に聞こえてしまう。
”Rain on me"のフレーズに続いて急に名詞が出てくるので、通常省略される命令文の主語が後に発せられているように聞こえるんだと思う。
MVの、ザブザブと水を浴びながら歌い続けるガガ様の様子と相まって余計に
「津波よ私に浴びせかかってこい」という具合に、聞こえる。
ザブンと津波に呑まれる画が浮かんでしまう。
この津波も、曲中においては「涙」とか「困難」とかの比喩なんだろうけどね。
しかしまぁ、この一筋縄では解釈できない感じがガガ様の歌詞の良いとこなんだよなー。
同じ曲を何度聴いても新しい表情が見えたりするんだよなー。
味わいたい。(既に結構、咀嚼するのを楽しんではいる。)
ちなみに、
見たところ多くの歌詞和訳サイトで採用されている「雨よ降れ、津波の様に」
これを私が英訳するなら
”Come down to me rainfall like tsunami."
としたい。
(最早もともとの歌詞どっちらけのお遊び)
(こういうことして表現をこねくり回すのが言葉遊びの面白いところ)
最後に
ガガ様の
”Rain on me tsunami hey"
があまりに自分にズガーンっと響いて、そのショックで色々と考えさせられました。
やっぱりガガ様はアーティストでディーヴァでクイーンでミューズなゴッデスでした。
”tsunami"に引っ掛かってから、残念なことに一度も当該曲を聴く気が起きなくなってしまったのですが、それはどうしても「津波」が思われてエンタメとして楽しめなくなったという話。
曲自体はダンスミュージックとしては最高。
歌詞も無駄なくスッキリとしていながら、聞き手に長く余韻を残す秀作です。
ガガ様はとっても賢く優しい方である、というのはファンなら誰でも思われていることだと思います。
「津波」という言葉を歌詞に採用することで、そのキャッチーさに歓喜する人々がいる一方、災害の津波を思う人がいるということは分かられていたはず。
それでも「津波」をガガ様が選んだのはどういう意図があったのか。
この選択に気持ちを掻き乱されるのはどういう心持のゆえなのか。
感じて考えて咀嚼するのが作品を味わうということだと思います。
改めて、深みと凄みのあるポップミュージックを世に生み出すガガ様は尊いなぁと再確認しました。
ゆえに尚のこと、”Rain on me"をエンタメとして享受できないことが惜しくもあるが。
脳内で好きなとこだけ再生はしているけどね。
そして
何が人の琴線に触れるかは本当に分からないので、
アーティストでもない革命家でもない市井の私は、
誰かのデリケートな気持ちに出来るだけ差し障りのないように、言葉遣いには気をつけなきゃならんなぁと思う次第です。
しっかし”tsunami"じゃないバージョンの”Rain on me”リリースされたらえぇのになぁ。
無理か。
でもガガ様が好きやわ相変わらず。
同じ時代に生きていることが誇らしいぐらい好き。
これからも活動を楽しみに楽しみにしてる。
以上です。
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