のりログ

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万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』を読んだので感想。

積読3年を経てやっとこさ読了。

大好きな万城目学さんの著書です。

books.bunshun.jp

以下、のんべんだらりと感想を書きます。

 

他の代表作に比べて、大長編

文庫本で読みました。厚めの上下巻。

万城目学さんのエンタメ読み物としてはかなり長いほうだと思います。

鴨川ホルモー』『鹿男あをによし』『偉大なる、しゅららぼんこの辺りのボリュームを予想して手を出すと、桁違いの情報量にゲンナリする人もいたのかなと思います。

 

かく言う私も京都でクサクサしてる風太郎のくだりは「これ、ちゃんと話進んでるよね?」と不安になることもありました。

が、私はファンですので。これまで読ませてもらった万城目学さんの著書にはもう本当に楽しませてもらってきたので。

 

信じておりました作者を…!!!

絶対このくだりは無意味じゃないと…!!!

張り巡らされた伏線が十把一絡げ回収されるクライマックスがくると…!!!

 

結論…信じてよかったです。

誰もが知る大阪冬の陣・夏の陣の結末に向けて進む物語の筋道において、ひとつ、またひとつとクライマックスに近づいていく度に胸が痛むのはこの時代にフォーカスして作られた小説には付き物の感情だなと思います。

(史実で既に大筋を形づくられてるフィクションなのでそれは仕方ない。)

(胸が痛むのは私が豊臣家に同情して物語を読んでいるが為である。)

 

忍者として育てられながら、忍者としての御役目を与えられず放逐された青年・風太郎が、伊賀を出て新天地・京都でクサクサしたり(=ニートとPRでは表現)日雇いバイトしたり不思議体験に遭遇したりしながら、

次第に現行の為政者がすげ変わる大転換の真っ只中に飛び込んでいくことになる。

 

ここまでの描かれ方は、全然時代背景も題材も大きく異なりますが、「この世界の片隅に」を観たときの感覚に近いなーと思いました。

konosekai.jp

戦時中の日本の市井の人々の1人である”すずさん”はじめ普通の人々が、普通に生きて、笑って、悲しんで、人生を紡いでいく時代が、戦時中だったという哀しみ。

でも助け合う家族がいて、感じられる愛情がある生を過ごす喜びも余すことなく描かれていて、それがなお一層、戦争の悲劇的側面を強調する。

あともう言わずもがな、のん、さんのアテレコが素晴らしすぎる。

主人公の瑞々しさはすごいの一言。

 

感が極まって話が脱線しました。

 

とっぴんぱらりの風太郎』は『この世界の片隅に』と比べるとかなりファンタジー色が強いですが、市井の営みの遠景に社会を揺るがす事象が着々と進行して、その歴史の激動からほど遠いところにいそうな登場人物たちのもとへも、その大事件が波及してくる…というストーリー展開に、何かしら近しいものを覚えたのでした。

 

しかし長かった。おそらく、これがために読み切るのを諦めちゃった人もいるでしょう。

ただ読み切ってみると、この長さは主人公・風太郎の心身の成長を描く為に必要だったのだろうと思われました。

物語終幕に待ち受ける怒涛の展開に、耐え得る落ちこぼれ忍者風太郎を描く為に必要な前日譚だったのかなぁと。

もちろん、ひょうたんや高台院、ひさご様はじめ大事な登場人物とのやり取りも描かれているのですが。

 

…もしかして伊賀の忍者たちをメインの登場人物に据えたから大阪に舞台をシフトするのにエライ長い物語が必要やった…とかじゃないよね?

小説なんてものをまとめあげて、かつ大量の読者を楽しませちゃうなんてスゴ技発揮する小説家の思考なんて想像もつかへんけど。

まぁ私は楽しく読んだので結果オーライ。

 

名付けのセンス、素敵過ぎん?

風太郎 ぷうたろう はまぁ素敵過ぎるとは正直思わなかったが。

黒弓 くろゆみ (南蛮帰り)

常世 とこよ (超美形)

蝉佐衛門 せみざえもん (ドジョウひげ)

百市 ももいち (策士)

 

うーん。さすが人気作家。

 
京の都でプータローする風太郎の描写

あっ今これ記述して気づいたがそういうダジャレかオイっ。

そっか…。

 

で、京の都でプータローする風太郎は、京の都を囲む御土居のほんのり外、つまり洛外の吉田神社の辺りでニート暮らしをする。

荒神口北野天満宮の描写から、あの辺に御土居ってあったんだーと無知な京都民である自分は興味を持ちました。

ぐるり22.5kmの御土居に囲まれた京都、いっぺん見てみたかったなー。

 

ところで今こんなのやってるらしいですね。

www.kyoto-arc.or.jp

えーいいねー行きたいねー。ニッチー。絶対行こ。

 

さて京の都での描写が多いので、当時の市井の人々なんかも結構登場するんですが、ひとつだけどうも納得いかなかったのは彼らの方言。

またうっさいこと言いよるわとか思わないでください良ければ。

 

現在ご存命のじー様ばー様でさえ「ほな、それでかましまへんやろか」とか言うのに安土桃山時代の京都の人が「では、それでよろしいでしょうか」とか言わないだろう、ぐらいの、違和感があった。

例えば「知らぬ」ではなく、代わりに「知らん」と言っただろうと思うんよね。

(ちなみにうちのばー様は「暑いですねぇ」を「あつおすなぁ」と言うし、「そんなのやだ」的表現は「いやかなっ(いややかなん、の略)」と言う。活きた方言やなぁと思う。私のはもう、なんかチグハグになってしまってる。別にえぇけど)

 

考えてみるに、いわゆる時代劇に即した言葉遣いを適用していたのかもしれない。

時代劇語、時代劇的口調とでもいえばいいのか。

時代劇であることを分かりやすくするために。読みやすくするために。

 
プリンセス・トヨトミへと続く風景

ネットで評価を読んでるとあんまり評価が高くないプリンセス・トヨトミですが私は大好きです。

有名どころの武将たちを彷彿とさせるネーミングの登場人物たちと、大阪を揺るがす大事件の顛末と、青少年の冒険の顛末。

 

物語の終幕で、プリンセス・トヨトミに続く節目がかなりハッキリした時はなんかシンミリしました。

やっぱり、長々とプータローの風太郎が描かれていたのは無駄じゃなかったなぁ…。

 

まとめ

やっぱり万城目学は良い。

もしかしたら、ひょっとしたら…あり得そうなギリギリのラインに描かれるファンタジーは至高。

またプリンセス・トヨトミ読みたくなりました。

 

追記(10/21)

とっぴんぱらりのぷうって方言があると、昨晩初めて知りました。